レイキの歴史
レイキの発祥
1922年(大正11年)に、
臼井甕男(うすいみかお)先生が京都の
鞍馬山で断食修行を行い、レイキを見つけました。「この力を自分や家族で独占せず、多くの人々に治癒能力を授けて喜びを共有しよう。」と考えた臼井甕男先生は、これを「臼井靈氣療法」と名づけ、東京・青山にて「臼井靈氣療法学会」を創設しました。
1930年(昭和5年)には会員数は7000名に達し、その後はおそらく1万人規模の会員がいたと推測されます。
海軍と靈氣
靈氣は海軍でも普及していました。臼井先生から指導を受けた20名の師範のうち少なくとも5名が海軍の上級士官でした。海軍の軍港には必ず靈氣の支部もあったそうです。靈氣は、海軍の上層メンバーの他にも、政治家や学者など社会的に地位の高い人々により指示されていました。
林忠次郎先生
臼井先生からレイキを伝授された一人である
林忠次郎先生は、東京・信濃町で靈氣専門の治療所を開きました。「林靈氣研究会」を作り、臼井靈氣療法をベースに独自の理論と技法を加えた「林靈氣療法」を確立していきました。
現在では、残念ながら「林靈氣療法」は消滅してしまいましたが、これがベースの「直傳靈氣」が広まっています。
高田はわよ先生
林靈氣療法の施術を受けた人の中に、ハワイ生まれの日系2世、
ハワヨ・タカタ(高田はわよ)先生がいます。
高田はわよ先生は難病で、このままでは余命幾ばくもないと診断され、日本に帰国。手術を受けることになりました。しかし「手術以外に何か方法がある」という直感を受け、林忠次郎先生の治療所に出会いました。そして林靈氣療法を受けた結果、健康を取り戻していきました。
レイキの効果を実感したハワヨ・タカタ先生は、林忠次郎先生に弟子入りし、そこで約1年間働いた後、ハワイに戻られ、1980年(昭和55年)80歳で亡くなられるまで、レイキの普及に努めました。最終的に22人のレイキティーチャーを育成しましたが、このお弟子さん達が組織などを整備し、アメリカを中心として全世界へレイキが普及していったのです。

逆輸入
敗戦後の混乱期の中で、非科学的と見なされるものは廃れていきました。そうした潮流の中、レイキも廃れてしまいました。
しかし、1980年代の
ニューエイジブームの流れにのって、日本にもレイキが流れてきました。
こうした経路で日本に再上陸したレイキは、「西洋レイキ」と呼ばれています。
一方、日本から一度も海外に出なかったレイキが「伝統レイキ」と呼ばれています。山口千代子・忠夫先生により伝えられている「直傳靈氣」などがあります。
Reiki-Styleでは、西洋レイキをベースに、「臼井靈氣療法」の考え方も多く取り入れ、西洋レイキと伝統靈氣の統合的な形になっています。

